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「昔はよかった思い出集」

 

助平達、いわゆる団塊世代の者達が突飛な事を当たり前の事のようにやってのけた、昭和の良き時代の思い出話を紹介してみよう。

彼らが子供の頃は現代では想像もつかないような遊びやイタズラ事が、日常茶飯事であった、昭和30年から40年台の恥知らずの思い出話し。

 昭和30年台を舞台にした映画やTVドラマは沢山あり、昭和の良き時代の様子は現代の若い世代の者達にも充分に想像出来るかと思う。しかしながら描かれない場面も実はまだまだ沢山あるのだ。当時の子供達のイタズラ遊びを思い出してみよう。

「小学校の検便」

 昭和30年台は年に1回検便があった。
 当時は落ちていた飴玉など全く平気で口に入れ、手も洗わずに食べ物をつかむのは当たり前の時代であった。
 当然お腹の中に回虫や蟯虫が湧く輩も何人もいた。
 学校では年1回検便をしてくれる訳だが、虫が発見されると虫下しのチョコレートが支給された。
 これが結構人気があり、虫がいてがっかりするどころか逆に喜ぶ者もいた。
 しかし必ず調子に乗る者がいるもので、自宅で飼っている犬の便を持って行ったところ、むしの卵が思いっきり検出され、たちどころにバレてしまい、担任と校医の先生に大目玉を喰らった奴など、当時はとんでもないイタズラ小僧が何処の学校にも居たものである。


「越中富山のどっけし売り」

 当時は各家庭に訪問販売用の薬箱が置いてあり、中には膏薬や熱冷まし・赤チン・胃薬等の常備薬が入っている。
 その薬を定期的に補充しにやってくる売り子が、越中富山のどっけし売りと呼ばれた。
 姉さんかぶりで、もんぺ姿のがっしりした体格の売り子のお姉さんが、年に1~2回唐草模様の大風呂敷を背負い「どっけしゃーいらんかねー」と声張り上げながら、1軒1軒顔を出しつつ歩き回る姿を見ると、子ども達は遊びを止めて家に飛んで帰り、母親に「どっけし売りが来たよ」と知らせたものである。
 子供の目当てはおまけの紙風船。
 もらった紙風船を持って早速遊び仲間の処に戻り、風船突き合戦に夢中になっているうちに、破った破らないで揉め出し、やがて喧嘩騒ぎになり、近所のおばさんに「コラー!喧嘩するんじゃねー」と怒鳴られ、皆一斉に逃げ出す始末。
 ちなみに“どっけし”とは“毒消し”つまり薬のこと。


  「十五夜のネズミ小僧」

 昭和の良き時代では、一年を通して地域や各家庭では節分の豆まき・町内の盆踊り・送り盆のナスとキュウリで作った精霊馬・十日夜(とおかんや)など様々な行事が行われたものである。
 勿論十五夜のお飾りも各家庭で行われる年中行事の一つである。
月を仰げる南側の廊下にちゃぶ台を出し、ススキを飾り、月見団子や柿・栗など様々なお供え。
暗くなると子供たちは手製のヤスもどきの長い棒を手に、夕闇の中このお供えを狙って、こっそり忍び込み、これらのお供えをかっぱらうのである。
大人達のはイタズラガキ達のにわかコソ泥のことなど先刻承知。いつ現れるか待ち構えているのだが、この日ばかりは見て見ぬふり。
子供達は意気揚々と、ネズミ小僧気分で引き揚げ、仲間達に分けあたい一緒に獲物をパクパク。こんな事が大人達に叱られずに出来た、面白く楽しい十五夜であった。


「柿ドロボー」

 柿の木は折れやすいので、調子づいてうっかり枝先まで登ると、とんでもない目に遭うが、そのスリルがイタズラガキ達にはたまらない魅力でもあった。
昔は地方では、庭に柿の木のある家がごく普通にあり、しかも当時は渋柿が結構多く、秋になるとどの木もたわわに実を付けたものであるが、実はその多くは渋柿であった。
まさか渋柿とは思わず、この柿を狙い悪童どもがイタズラ半分で木に登ると、たいがいそこのオヤジに見つかってしまう。
そうとも知らずその実をもいで、意気揚々と降りようとすると、「コラー!このガキあぶねえじゃねえか。」と怒鳴られ、慌てて降りようとすると枝が折れて危うく落ちそうになり、オヤジに抱えられ下ろされるや、拳固を喰らい散々説教されて、最後には軒下にどっさり吊るされた干し柿を幾つか分けてもらい、「もうやるんじゃねえぞ」と尻押叩かれ帰される。
これが当時のイタズラ餓鬼の柿ドロボーの顛末であった。


「ヘビ遊び」

 あの当時川遊びをしていると、草むらにはごく普通にヘビがいたものである。
 毒ヘビの仲間はヤマカガシくらいで、ほとんどがシマヘビとアオダイショウであったので、当時のガキ達はビビる事無く、シマヘビなどをとっ捕まえて、振り回したり、腰に巻いたり、また後ろから人の襟首に押し込んで、泣きべそかかせて面白がる悪ガキもいた。
  しかし時には間違えてアオダイショウを捕まえて、遊ぶガキも居たものだが、これは大失敗の元になる。アオダイショウはいじり回すと、興奮して恐ろしく生臭い液体を出し、手や服にべっとり付いてしまい、慌てて川の水で洗っても簡単には落ちない。仕方なく家に帰ると母親に、その匂いでたちまちバレ、大目玉を喰らう羽目になる。


「野グソの如き君なりき」

 学校帰りの農道を仲間達と遊びながら歩いていると、突然便意をもよおしてくることが、時々あったものだ。
 当時は公衆便所などある訳もなく、仕方なく近くの畑に飛び込んで、ズボンを下ろしてしゃがみ込む。幸い当時は養蚕農家が結構沢山あり、桑畑が点在していたので、畑に潜り込むと見つからずに用足しが出来たものである。
 当時はティッシュペーパーなど当然持ってないので、用足しした後尻を拭けるものといえば習字の紙。
 その日は習字の時間に「野菊の如き君なりき」という映画の題名が習字のお題になり、よく見ればヘタな習字に名前も書いてあり、たちまちバレてしまうが気にしない。
 結局小便しに後から入り込んだ仲間にばれて、クラスの噂になり、以後「野グソ君」と呼ばれるようになったそうな。
 しかも  桑の木の実はドドメといって、夏になると紫の実が沢山ついて見事になる。
これが甘くて美味いので、めったに果物など口にすることがない時代では、子供達には絶好のおやつであった。
 農家のオヤジや子供の親達は畑に入ると、大切な蚕の餌である桑の若葉が荒らされるので、畑に入るのを許さなかった。
しかし時季になると、子供達は当然桑畑に飛び込んで、ドドメを食い荒らすが、家に帰ると手や唇が紫に染まっているので、忽ち母親にばれてしまい、しばらく説教を喰らうことになる。


「落し物だまし作戦」

 助平坊の近所には中小企業にしては結構大きな工場があり、敷地内には裕福そうな経営者家族が住んでいた。
 そこのおば様がオシャレして助平宅の前を、自転車で買い物に行ききしているのを、度々見かけるうちに、仲間の悪ガキとある賭けをしようじゃないかという話になった。
 早速悪ガキが雑草と犬のウンコを拾ってきて、助平坊はしゃれた包み紙を調達。
 それらを丁寧に包み赤い紐でしばり、頃合いを見計らって道路に置き、隠れて見張っていた。
 ある賭けとは、その包みをおば様が拾うかどうかということで、互いに5円を賭け、助平坊は拾う方に賭けた。(当時は駄菓子屋で5円あればちょっとした菓子が買えた)
 間もなく例のおば様が自転車でやってきて、包みを見て周囲をキョロキョロ、その後さっと包みを拾い上げ、さっさと自転車で去っていった。
 助平達は大笑いしつつ、暫く後に包みを戻しに来はしないかと、油断せずに様子を見ていたが、結局戻って来なかった。
その後何故かそのおば様は前の道を通らなくなってしまったとか。






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