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<<<<<< 左大臣助平(スケヒラ)の悩み「オトナへの試練」 >>>>>>

【忠告】・・・食事を摂りつつこれなる物語を読む者は、必ずや後悔するであろうことを忠告する。

 昭和三十年初頭、助平は正統派の洟垂れ小僧であった。(洟垂れ正統派の定義=青洟二筋垂らし、埃で茶色に染まったその洟を、時折袖口で拭く為、袖口がテカテカに光っている状況下にある童。)
当時の子供達は皆元気よく、集団で遊び廻っておった。親の目などは届く筈もない。なにせほとんどの親達は稼ぎに必死で、子供のことなどそっちのけ。

助平の親に限って言えば、確かに日々のたつきに事欠く様子は見受けられぬが、哀しいかな息子の存在は親の頭の中に殆んど無い。なにせ己のこと以外は頭にないという家系であるから仕方がない。

しかし子供達は、不思議と大した事故もあまりなく、結構逞しく育ってゆくものである。

当時、腕の一・二本折ったとて、騒ぎたてる程の事ではなかったようだ。彼等はガキ大将の元に、そこそこ統制のとれた集団活動をしていたものである。  当時のガキ大将は悪知恵が働き、イタズラも一級だが、下の子の面倒も意外と良く看ていたようだ。

助平幼少の頃,この集団に憧れ、婆やの目を盗みつつ、ガキ大将率いる一団の末尾にへばり付き、必死にチョロチョロ後について廻ったものである。

時折イタズラとは知らず真似するが、大人に何故怒られるのか訳解らず。ガキ大将に教えられた通りにやると、必ずゲンコ喰らい、大目玉。しかし重ねるうち、やがてそのスリルに魅了され、次第にのめり込んでいったようだ。

 その当時は様々な物売りがやって来たものである。
子供相手の物売りも結構多かった。
紙芝居・おでん・アイスキャンデー・アメ細工・トッカンせんべい(茶碗一杯の米を持ってゆくと、型に少量の米を入れ窯の中に入れる。と間もなくトッカーンと大音響、型から出すと大きな煎餅状の米菓子が出来あがっているというもの。残りの米は当然の如く、おっさんが没収。ろくな味付けしていない為、けっして上等の味とは言い難い。)その他やきそば・ピーパン・ベッコウアメ等々様々な物売りが来た。

 夏の子供達の一番人気は、何と言ってもアイスキャンデーである。当時のアイスキャンデーはサッカリン等の人工甘味料に人工色素で色付けしたものに、割り箸の片割れを差し込み凍らせた代物。

売り手は自転車の荷台に、内側にシンチュウ板を貼り付けた、しっかりした木箱を括りつけ、中にドライアイスと共にこのアイスキャンデーを入れ、箱には幟一本立て、チリンチリンと鐘ならしつつ「えーアイス・えーアイス」と売り歩く。

このおっさん、季節が過ぎると、何時の間にやらおでん屋に変身したりする。

しかし貧しき子等は、買いたくても番度買えるものではない。そこで彼等は腹いせに、ガキ大将の指揮の下、意外と凝ったイタズラを実行する。
アイスキャンデー屋が来ると、大声で「キャンデー屋さーん」と叫ぶ。おっさんは「あいよー」とニコニコ顔でやって来る。すると悪ガキ達は「が通るー」と言うが早いか、パラパラと逃げ去る。
助平はガキ大将達の後を必死で追いかけ、そのたまらぬスリルに酔いしれていたようだ。

 が、ある日極めて突然、「オマエもそろそろやってみろ。これが出来ればいよいよおまえも一人前のオトナだ。」
この言葉聞いた途端、助平俄かに奮い立ち、
オトナになればアグラをかいて飯食えよう。
お椀も大きい物にしよう。
金太郎の絵柄は卒業だ。
力道山か川上の絵柄にしよう。
などとくだらぬ空想に胸弾ませつつ、「吾はオトナの試験に挑もうぞ」と触れ廻ったとか。

 翌日の昼下がり、悪たれ一団がチャンバラごっこに打ち興じておる最中、チリン・チリン「えーアイス」の声。聞くや「それ来た!助平ぬかるでないぞ。」とガキ大将に尻叩かれ、助平勇んで飛び出そうと思えど、何故か足の震えと尿意に、ウロウロヨタヨタ。

次第に近づいて来るオッサンの声に合せるように、ガキ大将に背を押され、助平止む無く意を決し、裏返った声振り絞り、「キャンデー屋さーん」と叫ぶ間もなく「あいよー」とおっさんの軽快な返事。

  彼の近づく頃合見計らい、「が通るー」とやらかし、ぱらぱらと逃げ隠れ。
事前に隠れ場所などチェックする筈もなく、 助平うっかり農家の外便所の影に隠れ。こともあろうに汲み取り口の木蓋の上に乗ったのが運のつき。

ベリッというチンチンの縮み上がるが如き、悲しき響きと共に、ズブリという何ともおぞましき不快音。
結局彼の左足は、くたびれはてた黄金色に染まり、同時に凄まじい臭気をあたり一面に撒き散らし、ただ呆然。

その臭いにはさすがにおっさんも近づけず、「このバカタレが、イタズラの罰だ」と吐き捨て、さっさと行ってしまった。
悪たれ達も誰一人近寄らず、「オラ知らねー」と全員散り散りに家に投げ帰ってしまったとか。 助平、形容し難きその臭いと吐き気目まいに遂にたまらず、用水路にドブン。

 その晩、哀れな助平は家中の者達より如何なる折檻を受けたか、定かな記録はないが、その様、想像に難くない。
以後あの凄まじき臭いだけは、しっかりと彼の貧弱な脳ミソに叩き込まれた事だけは、間違いない事実である。

あれから半世紀を経た未だに、彼は糞尿という言葉を耳にすると、途端に鳥肌と共に蕁麻疹が吹き出すそうな。

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