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<<<<<< 梅田倶楽部の鯉 >>>>>>

  助平の別邸に梅田倶楽部という、一見知識人達の社交場かの如き名の山荘がある。が、そのイメージと中身は大分違うようだ。

 そこは住所こそ桐生市になってはいるが、実は旧梅田村のとんでもない山奥にあり、このような山奥に、果して人の住める所はあるのか、いささか心細さを覚えつつ、沢伝いの道を登り続けて行くと、漸く辿り着く。

 余程の物好きか、変人、世捨て人でもない限り、このような所に山荘を持つ者はまず居ないであろう。(確かにこれこそ正真正銘の山荘には違いない)なにしろここでは人間よりも猪や猿、モモンガなる連中のほうが威張っている。従ってそこでは栗やら柿やら自然薯やら、季節になると様々なる恵みをもたらせてくれるのは確かなことではあるが、未だそれらの恵みは助平の口に入った試しがない。

 山荘における自然の恵みには、ことごとく彼等に所有権が付与されているようである。マ、助平の手に入る物といえば、せいぜいお茶の葉、すだち、茎だけ食され捨てられている椎茸の笠くらいなものであろう。(猿にとって笠の部分はどうやら下品な食べ物らしい)しかしながら助平にとって、この山荘にも唯一愛すべき動物は居たようだ。

 山荘には10坪程の池があり、実はそこに大層人懐っこい鯉達が棲んでいる。ボス格が2匹、その周囲に小ぶりな連中が7〜8匹。彼らは先代より引き継がれ、他の世界知らぬまま既に10年。助平が手をたたくと一斉に寄ってきて、(別に助平でなくとも寄ってくるのであるが)手ずから餌を食す、誠に愛しき鯉達である。何故斯様に人懐こいのか、理由は単純である。

実は助平、山荘に来るのは月1・2度くらい、気の向いた時のみ。平素全くエサなどやらぬため、たまにエサなぞにありつくと、ここぞとばかり見栄も外聞も無く突進してくるだけのこと。

 10年も経つのに恐ろしく成長の遅い訳なぞ、助平気付く筈もない。と・・・、この度エサを与えておると、メダカほどの輩が20〜30匹ほど徒党を組みつつ右往左往しているではないか。助平驚きつつもよくよく観察してみれば、彼らメダカに非ず。紛うかたなく鯉の子供達。彼等、ろくすっぽ食うもの食わずしても、しっかり子孫を残すとは、実に見上げた根性である。


助平、しきりに感心しつつ、我が身に置き換えれば、残した子孫は不出来な娘2人のみ。せめて外に子孫を残す算段、今からでも遅くはなかろうか。などと本気で不埒な考えにふけり出す。

助平: 当家の鯉は大層上等であるな。かような厳しい条件の中でも子作りに励むとは、中々出来得ることではなかろう。
: 主人の意地汚さとスケベイが鯉にまでうつるとは、なんと恐ろしきこと。(・・・溜息)
爺や: 左様なことを仰られては、お嬢様達の教育に障りましょう。
: 最早手遅れじゃ。爺と助平殿のお陰であのような娘に仕上がってしまいました。
助平: 奧よ、今更爺を責めても、致し方なきこと。娘も黙って立っておれば、そのグータラぶりは余人には分からぬこと。
爺や: お嬢様のオバカ加減が、何故に私めの責任になるのでございましょうか?お生みになられたのは奥方さまにござります。お育てしたのは奥方さま、助平さまではございませんか。
: ワラワは腹を貸しただけ。DNAの全ては助平殿の物、爺は傍に居るだけで娘にボケを移します。なによりグータラの元凶は助平殿でございましょう。
 爺や、真っ赤になり震えつつ反論しようとするのを、助平、爺やの袖を引き、耳元で「奥に勝てる訳がなかろう、何を申しても無駄じゃ。今に見ておるがよい、何れ余も鯉に負けぬ力を発揮してみせようぞ。」
爺や:助平さま、口だけはまだまだご立派でございますが、男は兎角体が言うことを利かぬようになる程、大口たたくようになるとか。
:  爺も助平殿も、減らず口たたく暇があったら、さっさと鯉達の餌やりに行かれませ。 なんなら当分帰って来なくてもようございます。
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